ついに見つけたFA(ファイナルアンサー)

ash20042004-07-30

昨夜某ツタヤをステディーとうろついていると、
「レンタル用だったけどもういらねぇから格安で売ってやるよ」の棚に「クリスティーナの好きなコト」というタイトルのビデオがあって500円の値が付けられていた。
最初にビデオに気が付いたのはステディーで、洋画に詳しいステディーは主演のキャメロン=ディアスという女優についての諸情報をいつものように俺に伝授しようとしてきた。
「知ってるよ、チャーリーズエンジェルだろ」と言うと意外そうな顔をされる。それほどまでに疎いと思われているし実際、諸情報の大半は初耳である。
「チャーリーズエンジェル」は前にテレビ放送してたのをたまたま見ていたのと、
今週のフジテレビ系「ワールドダウンタウン」に「チャーリーズ"カマ"エンジェル」というそれをちょっと意識したオカマ集団が出てて笑っていたことによって、
奇跡的な速度で俺の頭に瞬く間に浮かんできた。


映画でディアス師匠はリーダー格のエンジェルを務めていらっしゃった。
俺はオープニングで師匠が星条旗柄のパンツを全開にして転げまわる様子に萌えた、んだっけ?もう覚えてないけど。
で、キャメロン=ディアス御大に特別な感情移入など今までしたこともなかった。
が、俺の目は釘付けになってしまっていた。その箱に載っていた御大の姿に。
「クリスティーナの好きなコト」という、「女子寮潜入大作戦!」よりも若干深読みを要する淫靡なタイトル。
「コト」が一つポイントなのだ。「あっちの方」より「アッチの方」なのだ。
こんな物品を掴んで凝視していればたちどころに人格を疑われ、世間から否定されてしまうだろう。
しかし俺は結構マジでキャメロンに目を奪われ、箱の表も裏も背も凝視したし、棚に戻してもう一回取るという「二度見」まで演じてしまう。
ステディーが講釈を垂れているのを聞いているフリをするのが本当に苦痛だった。
この苦痛は「申し訳ないっ!」という感情を伴っている。自分でも本当にどうしようもないからだ。制御不能なのだ。


俺は別にキャメロン=ディアスに一目惚れしたわけじゃない。金髪は好みじゃないぜ、なんて。
本当のことを書くと、パッケージに載っているキャメロンを見ながら俺は、その向こうにもう一人、女の子を見ていたのだ。
だからステディーに申し訳ないと思ったのだ。
彼女の話を聞かないことなんかしょっちゅうだが、彼女の話を聞きながら別の女のことをこういう風に激しく考えることは今までしたことがない。
「クリスティーナの好きなコト」というビデオのパッケージに載っているキャメロン=ディアス師匠の髪は、
俺の言葉にすれば「一本一本にシルエットが出来た様な存在感のある」状態であり、かつ極めてその女の子と髪型が酷似しており、
顔の肌の感じは「好ましいすっぴん」状態であり、スタイルの感じは「細そうで華奢そう」で(師匠は実際には身長175センチもあるらしいが)、
着衣は「軽装で無防備さ丸出し」であり、と、
色々ポイントポイントを挙げていってもとても書ききれるものではないし、言いたいことが力不足で言えないのが悔しいのでもう一言で言ってしまうけど、
「あの娘キャメロン=ディアスに激似じゃねぇ!!!???」


やれやれまたまた言いたいことを言い切れてないな。
この表現では天下のキャメロン=ディアスさんと彼女のビューティー度が近いということになってしまう。
キャメロン80に対して彼女75みたいな。
そんなことではないのだ。そんな高いわけねぇが。
思い出さずにいられない「存在」の相似。
ポイントをいくら挙げていったってこれは絶対に説明できないことだろう。今だって説明出来てないけど。
ふっと見た時、アレって位似ている。どこがじゃない。たたずまいが。あと部分部分もちょっと。
俺は非常に混乱する。とにかくヤバイ。危険な気がする。
彼女とキャメロン師匠は何と言ったらいいか分からないが無理して言えばプロセスが似ている。結果は似てない。そして結果を比べることに意味はない。
これは文学だ。文学はプロセスであり結果ではないのだ。結果を云々するものじゃないのだ。


そう俺はツタヤの安売りコーナーでキャメロン=ディアスと出会い、憎いあんちくしょうとの相似を見出し文学に至ったのだ。
俺が文学に至ったのかキャメロンとあんちくしょうが文学なのかは分からないが。これは言葉遊びなのか?
しかし驚いたなぁ。キャメロン=ディアスとは・・・。
「ファイナルアンサー」のコールもかすれ気味。