剣玉の達人

なんだか相当買い被られているらしい。俺が日銭を稼がせていただいているのは東京・横浜地方で割と有名なアミューズメント施設、
仮の名をここではジャンバラヤ動物園としているが、その動物園の一部で、自分の評価が誤って上がっているようなのだ。
どうやら原因は自分が参加した年末の大掃除とその後の忘年会にあるらしい。


ほとんど年中無休の現場では皆それぞれ街の住人として場に存在しなければならないため、素で話し込む事はなかなかできない。
それが大掃除ともなるとついに解禁、一通り仕事が片付くと通称「文化会館」と呼ばれるスペースに皆で集合してウインクキラーというパーティゲームに興じたりした。
社員の方も普段は越えてこない一線を越え、いわゆる箍を外した状態になり、フランクなアルバイト従業員ひひょう、みたいなものを始めて最初の標的はなんと俺。
その社員の人は卓越した言語能力=こんな言葉が出てくるのか、という言葉の泉感や、それを的確にお客さんに伝える能力に大変優れていて、
現場で接しながら密かにファンです、師匠、おしさん(お師匠さんの略)と思っていたのだけれども、
「坂口君はねー、現場で見てるとフッツーなんだけど終礼シート読むとね、何か面白くしてやろう、って意識が見えるんだよ。
細かい言い回しや表現が面白い時がある。もっとその部分をお客さんに出せるといいのにね」
というようなことを言い、要するに割と好意的な意見をいただいたのである。
心の中で勝手に師匠とか呼んで尊敬している人にそのような言葉をもらい、俺は一瞬すごくテンションが上がったのだけれど、
ほいでその場はアルコールが供給される場だったのでただただいい気分だったのだけれど、
新年明けて現場に出て考えてみれば、ぜんぜん状況は好転していないのであった。


問題は普段お客さんと接する時に師匠から言われた「いい時の俺」を出せるか、ということで、これが、出せない。
たまに出せたと思っても一瞬なので、そんなのはたまたまの偶然で片付けられてしまう。
昨年八月くらいに書いたが、俺は結局天然なので、意識的にテンションを上げたりスイッチのオンオフを自在にできたりしないのだ。
だから普通に喋っていて、たまに何かちょろっと言ってウケる、くらいのことしかできてない。
しかしバンバン話は俺に振られてくる。住人同士のかけあい、なんてシーンで俺がいじられるケースが増えてきているのである。
他の人が面白いので、適当に転がされていれば難を逃れる、場を寒くすることなく切り抜けられはするのだが、しかし俺の満足度は低いままだ。
また何もしてないやんか俺!という無力感、焦燥感、疾走感に駆られ、ドンマイ俺、と自分を慰めたりはとても出来ずに。


さて、もうひとつの原因である大掃除の後の忘年会に話を移そう。
俺が参加した際、稼働メンバーが少ないから精一杯気を利かせて、
カラオケで和田アキ子来生たかおアジアンカンフージェネレーション、H2Oなどを歌ったところ、
来生たかおあたりが社員の人に大ヒットしたらしく、結構感心されてしまったのである。
終電を過ぎアシを失い、結局午前5時くらいまで受付嬢の二人と順番で歌い続ける破目になった。
あの鐘を鳴らすのはあなた」で眠った社員一名を覚醒させたりもし、起きた当人は新年会うなり俺に好意的なコメントをしてくださった。
何が言いたいかというと、身内内での俺評価、俺プレゼンスが向上した、それは良い側面もあったが、
その反面、俺にかけられる求められる期待や何かが身の丈以上に大きくなってしまった、ということである。
師匠の発言を他の社員も聞いており、じゃあ今即興で芝居をやらせてみようと言われてやった時など辛すぎて(あまりに寒くて)誰かに介錯を頼みたくなった。
大体終礼シートを面白く書こうなんて俺は考えたこともないのだ!
いつも「工夫して○○してみたがうまくいかなかった」とか、「今日は混んでいてテンション上がりっぱなしでした」とか「下がりっぱなしでした」とか、
そんなことばかり書いているのに。他の人のがよっぽど面白くない、内容がないのだろうか?そんなはずはない。


自己認識とかけ離れた自分認識を相手にされると、たとえそれが好意的なものであっても、いやむしろ好意的な方が厄介なことになるな、ということを今痛感している。
しかし、いじってもらえるというのはオイシイ、ということで、何とかうまくノレるようにしたいとも思っている。