旧成人の日ですが・・・

いかがお過ごしでしょうか?
成人式で今年も派手に騒いだことが報道された、沖縄県民の民度の低さには驚き呆れ返るばかりであります。
沖縄というと本土の人(ヤマトンチュ)は手放しで礼賛する傾向にあるようです。
なぜそのようなことになるか、理由は色々考えられますが、本当の根本にあるものは何なのか分かりません。


1:ハワイに通ずる南国のイメージゆえか、
2:小国の割にオレンジレンジ安室奈美恵withスーパーモンキーズフィンガー5やガクトなど多数の有名芸能人を擁する、
いわゆる人口対芸能人比率の高さゆえか(個性的な人材が育ちやすい環境ということで)、
3:戦闘機の演習による騒音・爆音、「象の檻」など基地問題、あるいはジュゴンの住居問題に代表される「割を食っている人々」のイメージなのか。
4:果ては60年前、大東亜戦争・太平洋戦争でガチの戦場となり、シャレにならない犠牲者が出たことへの無意識の同情なのか。


沖縄人に「自分が沖縄の人間である」という意識が強くあるというのは、歴史的経緯からも当然のことといえます。
国籍は日本であるが、厳密には日本人ではない。独自の交易の歴史を持ち、沖縄の人には濃い顔の人が多い(主観)。
若い世代もそうであり、オレンジレンジは未だに沖縄に住んでいるし、沖縄への思いを音楽活動の糧にしている面もある。
沖縄では固有の物語とか伝統とか歴史がまだリアルなものとして感じられていて、自分がその大きな流れの中の一人であると自覚できるということでしょうか。


翻って、神奈川県とか静岡県に、物語とか伝統とか歴史がリアルなものとして感じられる土壌があるでしょうか。
俺の周りには正直言って、ないと思う。局地的にそういう場所もあるのかもしれない。
物語も伝統も歴史も、教科書という墓の中に入ってしまって、近所のどこを歩いても、日本のどこにでもある風景、って感じだ。


本当に適当に、最初の一文を書いて、そこから広げてきたので論旨も不明確であります(というより一貫したテーマのようなものはありません)。
ただここまで書いてきて、バカ騒ぎする沖縄の新成人クンたちが本当に蔑むべきドキュソなのか、
いやそれは確かにドキュソなんだけど、彼らの行動(出身中学ごとにハカマで色分けとか)に、
固有の物語とか伝統とか歴史のひ孫くらいに当たる何かが存在しているのもまた確かだと思う。


元々若者とはバカ騒ぎするものだ。ドラマや小説ではどこの世代の人だって若い時はバカ騒ぎしている。
学生運動もそうだしワールドカップだってそうです。
ただ、俺なんかワールドカップの時がそうだったけど、本当に興味ないやつはそのバカ騒ぎを冷静に、ときには冷笑的にさえ見ているからね。
どんな国民的行事であろうと、熱狂の輪に入っていない人からすれば、その騒ぎは景色のようなものでしかなく、
しかもうるせーんだから迷惑以外の何でもないだろう。


成人の日だからって大騒ぎしているウチナンチュたちを「バカだなぁ」で済ませる事は簡単ですが、
彼らが沖縄という土地に生まれ、無意識の内に備えたサムシングは、人間の心にとって大切なもので、
現代(の神奈川県とか静岡県)では失われつつあるものであるということも、一方であるのです。


俺の場合、不幸にも沖縄に生まれつかなかったので、自分で自分の物語を作るという手続きをしなければなりません。
そして歴史の中に自分を位置づけること。といってもイメージが湧きませんが・・・。