「女子寮潜入大作戦!」

こんないかがわしいタイトルの映画を借りたのは、
「マイナーを尊ぶ俺ってイケてる」という形ばかりのアンチメジャー精神からだった。
俺なんていつもこんなのばっかりだ。
サーファーとかテニサー(テニスサークル)を、単にメジャー臭いという理由で憎んできた。
それは突き詰めていくと自分がメジャーになり得ない容姿や性格をしていることを自覚し、
自覚していながらメジャーを羨ましいと思ってしまう自分に行き着く。歪んでいるのだ。
誰か俺に翼をくれ、と、思ったけど誰もくれない。
だからメジャーを蔑むことで自己を保とうとしたのだ。「なにその翼!?」って具合に。


そして「女子寮潜入大作戦!」はイイ映画だった。
どうやら青い春を描いたものから自分は額面以上に感動してしまうようだ。
青い春というのはセックスやら底抜けの明るさやらバカやら無軌道な暴力やら永遠に思えるモラトリアムやら、そんなものを基調とする。
最近私は「ハリーポッターと秘密の部屋」、「ハリーポッターとアズカバンの囚人」と立て続けに観たけれども、
メガネをかけた魔法使い(落としてやっさん状態になるシーンが多いぞ)よりも女子寮に潜入する男子学生(女装)の方が遥かに面白かった。
ちなみに俺のベスト・オブ・映画は「無問題」(岡村隆史主演)だから、ハッキリ言って鑑賞眼はないに等しいと思う。


しかしここで俺の心をかき乱すパツキン美女登場。あー君はこの美女に似ているかもしれない、と思う。
でも惚れた僕が言うのもなんだけど君自身の内にも外にも「美女」の美は存在してない。
65点ボーダーとしても、ギリギリ届くか届かないかだ。それは分かっているんだ何度も考えたから。
第一、君はパツキンですらない。え?以前思い付きでパツキンにした?それはそれは、さぞかし似合わなかったろう。
違うんだその華奢な体や控えめな胸や、パツキンはさておき一本一本にシルエットができて存在感のある髪が。
そして何より少し拗ねたように上を向いた唇が。
俺は、こういう表情をする女は君だけじゃなかったんだと思って少し君を相対化することができる。
しかしそんな事は比較して些細なことなのだ。忘れたい君の事を思い出させるということに比べれば。
一度描いた絵の上から鉛筆で実線を何度もなぞって像を濃くするみたいなことになっているぞ!
ただ、よく考えればそれは君という個から俺が男として惚れてしまった部分を抽出して強調して完成させた虚像であって、もはや君ではないのだ。
「こういう女が好きだ」という一般化した、俺にとって都合のいいイメージでしかない。
だから、君が隣にいないのに君のことを考えるという事は無駄なのであって、
どんどん無意識に一般化されていく君の像。実態は別物。
今それを取り出すことができる。
俺はどちらかというと背が低く、華奢な体を持ち、髪がサラサラで、唇を尖らせているように見え、
セックスのことなんてどうだっていいんだという顔をしている、そういう女が好きなのだ。
俺はロリコンロリコンというか実年齢は関係ない。見た目が幼ければいい。


そういう風に答えが出る。それに必死で抗おうとする。一般化など起きてはいない。
俺は君のことを好きになったのであってそれ以外のことは一切関係ない。
自分の思考は完璧で、この頭の中で再生される君の「虚像」は虚像ではない、完璧ホンモノだ、
少なくとも歪められた部分などあるはずがない、と思おうとする。
ただ人の記憶は風化するものだし適当に補完されていくものだからという真理が俺の首を真綿で絞める。
真綿で絞められながら俺は虚像なんだか実像なんだか判断を拒否したまま君のことを考え続けている。いつしか落ちる。


途中からパツキン美女(ヒロイン)のために鑑賞が苦痛にすら感じられた、そんな三連休だった。
そうこれは最終的に三連休の話だったのだ。