ネット社会に触れて

これは自分だけが感じたこと、あるいはごく少数の意見なのかも知れないが、
世の中のみんなは文章が本当にうまいですよね。あとみんなよくものを知っている。
インターネットのコミュニケーションの基本はいまだに文字です。たぶんこれからも。
文字メディアとしてネットを見た時、それは私には衝撃の舞台だったのです。

なんでこんなことにことあるごとに衝撃を受けてきたかというと、
「本を出せるような人が文章うまいのは当たり前だろ」、
「新聞記者なんだから言葉選びも正確だろ」、
という、従来の文字メディアへの根源的な信頼感ていうの?
生まれた時からあるもんだし。何だかんだで権威主義的なところあるし。
これをまず頭に置いておいてください。

新しいメディアであるインターネットにはそういう信頼感がないですよね。この感覚は分かってもらえると思うんだけど。
それは送り手に信頼感がないということです。
こいつは何処の馬の骨だ、って意識が常に自分の場合はあるんです。
その、何処の馬の骨とも分からん奴が、自分なんかより素晴らしく知識が豊富でありながらエスプリに満ちた文章を、
別に誰に頼まれたわけでもないのにウェブサイト等で公表している。頼まれたかどうかは無関係すけど。
いわゆる「素人」さんが、ビックリするような見識を披露している。
これまで漠然と抱いていた私の中の「素人」の原像みたいなもんが破壊されていく感覚。


しかし、こう考えてみれば話は簡単になるのです。
学生時代、30人だか40人だかのクラスにいわゆる「面白い奴」が何人いたか。
そりゃまぁ各人言い分はあろうけども、最低一人はいたでしょう。
つまり日本人の中には30〜40人に一人以上面白い奴がいる=世の中全体では結構いる。
面白さが問題になるのは男子が多いですから、20人に一人と言ってもいいと思います。
同じ理屈で、「クラスのマドンナ」は各クラスに一人以上いたのだから世の中に美人もたくさんいることになります。
女子限定ですから、これも15〜20人に一人は結構可愛いということになります。

ここまでくれば話は「文章が水準以上にうまい奴」や「専門家顔負けの見識を披露する奴」も世の中を見れば割合いるものだ、ということになります。
この理屈に気付いたとき、私はちょっとショックだったのを覚えています。
自分が得意になっていたsomethingは、世の中から見れば実は大したことない、そういう気付き方でしたから。

そんな私がしているのは、まとまりのない文章をウェブ上に書き散らすこと=「私」をぶちまけること。
トリビアが始まったので強制終了です。