セックスを気にしない人たち

ハッキリ言って世の中の大半の男女がセックス(性・異性関係)がらみになると我を忘れると思っていた。
セックスは「核」だ。核兵器くらい威力があるって意味じゃない。コアだ。中心になるものだ。
今だってそう思っている。しかしそうでない人もいる、それがこんな近いところにいた!という話だ。
色々な関係を創造しつつ破壊しつつ人心を混乱させる性行為と異性関係と周辺物。


かつて俺が貧しいチェリボーイだった頃、激しい片思いに襲われたことがあった。
それはパチンコ屋にようやく堂々と入れるようになった年のこと。
高校時代、共学だったにもかかわらず女友達の一人もいなかった俺が、高校を出て初めて仲良くなった女だった。
当時俺は童貞にありがちなセックス願望にひたすら苛まれていて、経験することでする前より明らかに一皮剥けると信じていた。
振り返れば本当にバカだった季節もあったものだ。
今だってバカだし27時間テレビみたいな俗なものを見てゲラゲラ笑っているんだから相当レベル低い。


まーとにかく片思いの女ができて、俺は当然のごとく彼女の心を欲し、それが叶わないと分かると彼女の体だけでも求めた。
今思い出しても虚しい話だ。非生産的な不毛な話だ。自分という名の工場の工場長失格だった。
その日初めてデートっぽいことをして、人生で初めて女をホテルに誘ったとき、ホテルに行くのはいいがセックスはしない。「セックスをすると情がうつる」と彼女は言った。
解釈するならそれは「すると混乱してしまうからあなたとはしない」という宣言だった。そして実際にしなかった。彼女には付き合っている男がいた。
彼女は社会人で俺よりよほど、あらゆる意味で分野で聡明で、何かを「わきまえた」って感じの人。
そんな女でも性行為絡み、あるいはその前の異性関係ということになると、どこか冷静さを欠くような所があった。
俺のことを好きでも何でもなかったというのに。
全力でぶつかってきた(と思う)俺に動揺しただけなのか?今となっては分からない。


ただ、自由を愛す女はいた。よりによってそんな女に惹かれるなんて俺は一生女運に恵まれないこと確定。
「ぽかーん」という表現がぴったりで、いくら何をやっても無関心なのだ。
彼女の異性交遊のスタイルは彼氏であっても「暇なら遊ぼう」。友達との予定が入ったときはごめんね。予定?どんどん入ってくるよ。
淡白などというレベルではない。愛は?愛は何処へ行ってるんだ?


「穏やかな親密さ」というのは俺が最も愛するものの一つだ。
3年前、生まれて初めてデートをした4月のお台場海浜公園
思ったより日差しが強くてお互いの顔がまぶしくて見づらくさえあった平日に、ベンチで恥を恐れず膝枕をしてもらった時のこと。
膝枕をしてもらいながら落ち着かず頭を180度回転させたり戻したりして失笑を買った時のこと。
俺は自分自身の体験から穏やかな親密さが存在すると信じている。そこには確かにあった。
ちなみにこの「穏やかな親密さ」ってフレーズ舞城が使っていたような気がするけど、
これは前から好きだったんだから。読んだ直後だから使ってるわけやないぞと。
で、その穏やかな親密さを維持することすら難しいんじゃないか?そのスタンスは。
恋愛観の違い?そういう事で片付けられるのか?俺にとってセックスはコアなんやって!


俺の異性との接触体験は、日常生活のおよそあらゆる局面をそうだとカウントしても数えるほどしかない。
だから母数とするには無理がある。だから俺は一般化もしないしこれを俺の感想として表明。
性をコアに据える俺にとって性に無頓着な彼女は二重の混乱の元なのだった。


(画像はマツダ・ロードスター