ひかり

ash20042004-09-11

好きな人の顔ってよく目に入れるのに実は思い出せないよな〜ということを実感したのは俺が小学6年の時で、
マッキー(またマッキーだよ)のモンタージュとかいう曲にも書かれているように、
「顔を思い出せない」というのは別に自分だけの特別な体験なわけではなく、結構あることらしい。
ある人がすごく好きで独りになるとその人のことばかり考えてしまう、布団の中でのた打ち回る、スケベorほのぼの系の妄想に耽る、
それくらい思っているのに、いざご当人の顔を思い出そうとすると像を結ばず、表情の印象(笑顔がパッと明るくて・・・)とか、
特徴を言葉で繰り返す(「一重まぶた一重まぶた・・・」)んだけど画が出てこないみたいな事態に陥る。
また俺の体験から書かせてもらうと、過日俺を惑わせてくれたキャメロン・ディアスっぽい女の子が気になって気になってしょうがない時は
その顔をまったく思い出せなくなった(映像として、という意味)が、現在では余裕で思い出せる。


つまり、「好きな人なら顔を思い出せない」ということが当てはまる場合が割とあるのは確かなことである。
またマッキーこと槇原敬之の曲からネタを持ってきているため、あたかも以前からのファンであったかのような誤解を与えるかもしれないが、
俺だって若い時はジェイポップ(J-POP)の類に触れ、音楽番組を熱心に見ていたのだから知ってたって不思議じゃないじゃないですか。
必死に否定するところが怪しいだなんて、あなたも人の悪い。


一方、余談になるが、これを逆さにして、「思い出せないなら好きな人である」という結論を導くのは非常に危険である。
たとえば俺は今ジョビジョバのメンバーの顔をまったく思い出せないが、別に彼らを好きでも何でもないし、
ソフトオンデマンドの社長高橋がなりの顔をマネーの虎以降見てないのでやはり思い出せないが、やっぱり好きでも何でもない。
それをばセオリーだからなどと言って高橋がなりとのホモプレイを夢見るなどもっての他である。


若い時というのは何かと理論・公理の類に傾倒しがちで、何故かというとそれで世界を割り切りたい、分かったような気分になりたいからだが、
オウム真理教、現アーレフにハマッていった優秀な頭脳をお持ちの人々のほとんど全てがそういう世界把握の仕方を求めていて、
村上春樹の「アンダーグラウンド2」を読むとそういう価値観が露わになっている(読んだの3年前だから間違ってたらごめんなちゃい)。
こういう手合いに引っ掛かるのは10代後半から20代にかけて、それも男子が一番アブナイ。
ありゃ、じゃあオウムに入る人と村上春樹を読んでアタマをやられる大学生とどこが違うの?って話になるぞ。
「なるぞ」っていうか俺がそういう風に展開したんだけど。
若い時ほどそういう「分かりたい」熱病に罹りやすくて、分かったという錯覚も抱きやすくて、
で俺が言いたかったのは何か自分で答えをこさえて、それで自分の生き方を限定するようなのは不幸だからやめろ、ということなのだ。
あるいは、その答えが唯一無二の真理であると思うなかれ、ということ。
で、「好きな人の顔は思い出せないことが多い」の変奏としてその逆をも認めてしまう、
そういう危うさが若人にはある、かもしれない。から気を付けようというお話。


さらに余談をかます町田康はそういう世界を割り切りたいとか、分かったような気分になりたい、
というウォンツあるいはデザイアを粉砕する作品を書いているように俺には見えていて、
小気味いい文体と笑いは好きになる上で重要だけど、底に流れているように(俺に)見える姿勢っていうの?もかなりでかい。


その顔を思い出せない女性はハゲ親爺を伴って店番をする俺と友人の所に現れた。
俺より遥か以前からこの職場にいる俺の友人とは顔見知りらしく、ガシガシ喋っている。
後で聞くと、どうやらこのテーマパーク様の施設内にある飲食店で働いているらしい。
ボディゾーン意識の低い女性なのか、俺の非常に近くで、隣の友人と談話を展開していて、まじまじと観察すると輝度の高い肌をしてて、
髪の毛をなんやらクリップのようなもので右へ左へ動きを付け、タンクトップみたいの2枚重ねで何気に露出度高め。
あっという間にその人を気に入った俺の安らかな気持ちをしかし遮りやがったのは、同伴のおっさんで、
どうやら若干アルコールが入っているのか話し方ががっついていて、
その女性と談笑していることへの嫉妬も手伝ってか友人に言葉を投げつける感じで挑発的、かつ人の話をまるで聞こうとしない。
しまいには頭髪を指差し「これ取るぞ!」などと聞いてもいないのに自身がヅラであることを公表、
ここに至って友人と応援に参加した俺はおっさんとのディスコミュニケーションを認識し、店内に消えていく彼を、
「ぷっ、それにしちゃあ随分薄いよな、ヅラの意味ねーじゃん、本分果たしてねーじゃん」と聞こえるか聞こえないかぐらいのギリギリで哂い、
さらに友人の「それで誰なんだよあのおっさん」という予想外のコメントに俺は吹き出してしまった。


おっさんは女性の勤める飲食店によく来る常連で、彼女は付き合いで施設内を同伴して周っていたらしい。
それを知るまで何なんだこの取り合わせは、ということで一盛り上がりし、主に相手をした友人はウザがっていたが
傍から見ていた俺はかなり笑った以外、特に実害もなく、なので何とも思わなかったのだが、
少し経ってから、先ほどの彼女がおっさんの件で侘びにわざわざやってきてくれて、
それで俺はますます彼女のことが気に入ってしまう。
その時ちょうど友人がレジ係のために店内から動けず、なんと相手をするのは俺一人。
ああ、そんなお辞儀とかしないでください、着物の布が重力に負けて垂れてしまう。垂れてしまうと何か見えちまうよチクショー!
見たら駄目だバレたら軽蔑される人間てブラックリストに入れた人とは絶対にコミュニケーションしないんだぜだからそっぽを向くんだこのクソ顔面!
そんな俺のハラハラドキドキとは無縁のイノセントな彼女は最後まで感じのいい感じを残して去っていった。


店から出てきた友人に早速相談したところ、彼は「熊ちゃんの次をもう見つけたのかお前は」と呆れ顔で言った。
客観的ビューティー度で言うと熊田曜子度80オーバーの通称「熊ちゃん」が圧倒的だ。
しかし往々にして世間の評価と自分自身の評価は食い違うもので、何というか、俺の目に輝いて映るということでは、
飲食店店員の女性も決して引けは取らなかったのであって、これを仮に「吸引力」とでも名付けることにするが、
ビューティー度+吸引力+色々の総和が両者とも非常に近い。
そして冒頭に挙げた「顔を思い出せるか」を考えてみると、熊ちゃんは熊田曜子だからってのもあるけど思い出せちゃう。
飲食店店員の方はというと、これが、ハッキリと思い出せない、その思い出せない感じが絶妙で、
像は結ばないが部分部分は覚えていて、照明なのか何なのかやけに肌や髪やもろもろ存在の輝度が高い感じ。
要するに俺の頭に鮮明に残っているのはきれいに見えた、ということだけなのだった。


光が俺をおそって、目をつむって光線を防ごうとするんだけど変な緑や青の幾何学図形が目の裏に焼き付いてしまって、
チラチラ揺れて見える幾何学図形の形に翻弄されているのが今の俺。と言えば多少は伝わるんだろうか(いや全然伝えられてない)。


(画像はフォルクスワーゲン・ゴルフ)