XYZの再来に疾走する魂

コミュニケーション能力が人並み以上に優れている人に接したり、その活躍に触れると単純に尊敬の眼差しを注いでしまう。
当人と話をしたいというよりもその様を見ていたい、という気持ちがまず起こる。
そして大体は見ているだけでは済まず、そういう人は自分のような陰な感じの若者にも気軽に声をかける、
話を振ってくださるので、流れ的に話さざるをえない具合でしゃべって、
話していいものかどうか緊張している自分を徐々に場に馴染ませるということも(結果的にせよ)やってくれたりする。
コミュ能力の優れている人の優れている部分というのは、話がリズムよく展開し途切れない、というのは最低条件として、
相手の話を聞くときの態度で相手に話しやすいと感じさせる、とか、相手の身の上情報と絡めて話をすることでレスポンスアップさせる、とか、
まぁいくらでも条件は挙げることが出来るのだけれども、最終的には「笑い」に行き着く。コミュ人が場にいると笑いが絶えない。
笑いというのはまぁ色々な性質を持つものだが、バカ笑い、ニヤニヤ笑い、くすくす笑い、あはは笑いなど、ここではあらゆるプラス方面の笑いについて言っている。
(だから嘲笑とか町田康の言うふくみ笑いは除外になるわけだ)
コミュ人は一言で言うなら「拾うのが上手い」。話し手の話す内容がどんなものであれ面白いところを見つけたり、
自分で引き取って面白く展開することが出来る。
もちろんコミュだって人間だから見つけられないことだってある。
そういう時はファール、ファールで粘ってポテンヒットを放つのだ。


そして面白く展開していくことが出来た時、シリアスな話、込み入った話も熱を帯びてくるのであって、
要するにこの場ではこの空間では、ドバドバしゃべくっていいんだ、とそこにいる者に思わせることが出来れば勝ちである。
「○○を知っている」とか「▲▲を観た」とかいういわゆる情報の交換行為をいくらしたところで
情緒的な結び付きを形成する決定打には通常ならない。
その交換行為の中に笑いや発展を入れていくからこそ関係が生まれていくのであって。
俺が先日話題にした「共通の話題がない」というのも、ある程度以上のコミュニケーション能力があれば本当は問題にならない。
「ある程度以上のコミュニケーション能力」をリアルで持ち合わせていない俺は、
冷たい、永遠にも感じられる沈黙の底に相対する者を引きずり込むことがしばしばあって、
その「しばしば」なメモリーに束縛され余計にしゃべらなくなるという悪循環にハマッていったりしているのだが、
今回俺がガチンコでバトルした、っていうか抽象的でワケ分かんないから事実に即して書きますけど、
先述したコミュ人に分類されるバイト先の先輩と、先日書いたテーマパーク様の施設内にある飲食店で働いている女の子を交えて、
その飲食店で三時間ほど時を過ごすという個人的に鮮烈な体験をしたんだけど、
つい今書いた話はこれとはあまり関係がなくてただの自分語り。


というのもコミュ人が隣にいるもんだから喋らざるを得なくって、
つーか基本スタイルとしては先輩とその女の子が目を見て話し合っている感じなんだけど、で俺は静かに彼女に見とれているだけって感じなんだけど、
時々コミュが俺に話を振るので彼女ばっかり見ているわけにもいかず、何とか受け答えをしつつ、
二人の間の共通了解や知識、認識を必死に追いかけるということをしていた。
何せ俺はここジャンバラヤ動物園に来て三週間弱の、マリオでいうとクリボーみたいなもんで、たとえば個人名を言われてもサッパリ分からないのである。
飲食店の中は薄暗く、暖色系の明かりがポワポワと点いていて洋楽っぽいのが流れていて、
赤い革張りのソファが何セットか置かれていて壁に据え付けられた棚に誰だコイツはって感じのレコードが並んでいるような昭和テイストの幻想的な装い、
で今の説明で大事な所は暖色系かつ薄暗いという部分だけなんだけども、
肌を美しく見せるのにはやはり蛍光灯のような無機的な白色ではなくて、オレンジ系に代表される暖色が最適で、
まさしくそういう明かりに照らされた飲食店店員(私服)の、特に横顔は、自分に切ない思いを抱かせるほどに綺麗だった。
なぜ切なくなったのかと言えば、彼女が自分に振り向いてくれる可能性が限りなく低そうだからで、
こんな全メンバーがコミュ人アンド楽しいアンド仲の良いアンドその他もろもろな場所で、
俺みたいな大河の一滴(by五木寛之)以下の存在にそのかわいい一重まぶたの目を向ける理由はないのである。
しかも職場が違うのでアクションを起こそうにもどう起こしたらよいやら分からず、
今はただオフの日に一人で飲食店に行きコーヒーを啜る位しか思いつかないし、一人で行ったら話すことがなくて沈没しそうで怖いから未だ果たせない。
いずれ誰かのものになってしまうであろう横顔にこうまで惹かれてしまう自分というものから、人間の感情の動きの無念さ、理屈の通らなさについての諸アイデアを見出す。


その飲食店はアルコールも提供しているというので、久しぶりにXYZを注文した。
パークハイアットにある展望室みたいなバーで飲んで以来だが、メニュー表に書いてあるので知っているのがそれだけだったから頼んだみたいなところがある。
たしかハイアットでは2杯飲んで酔っ払った記憶があり、結構強い方だった気がしたが、予想通りあっという間に精神が使いものにならなくなって、
なんか乾杯とかして飲み始めたもののカクテルって量少ないですね、でもキッツいですね、なんて言ってる間に俺の人物主体が終了していた。
このコミュニティーでは回し飲みが普通らしい、先輩と飲食店店員は間接キスなどお構いなしにグラスを交換している。
あー俺もそういうのしたい、なんて思っても言い出せずにいたのが雰囲気か何か知らんがいつの間にか彼女のカクテルを味わうことに成功し、
美味い美味いとか言ってる内に彼女がカウンターに同僚と話に行ってしまった。
ひどく残念に思って先輩に恋愛をスタートする際の姿勢について聞き込みを行ったところ、明確な交際スタートのしるしのない、
気が付いたらいつも一緒にいる系のが自分は多い、そして一時間黙っていても間が持つような関係がいいということをおっしゃったので、
俺もそういう、ハッキリしたものはないけど一緒にいて穏やかな気持ちになるとか、
てんでバラバラな行動を取っていても収束していく点が同じであるような関係がええですわ、なんてインチキ関西弁まで使ってしゃべって、
話題が段々と恋愛トークに移ってきたのを感じていた。話を振ったのは俺だが展開したのは先輩である。


書き忘れていたが先輩には飲食店の彼女が猛烈に気になって仕方がない、という趣旨のことを成り行き上話していて、
だからバイト上がりに自分を店に誘ってくれたり、何か気を遣ってくれたのか二人で話をするような状況に俺を追い込んだりしてくれたのだが、
彼女が同僚との話を終えて戻ってきた時、恋愛トークをしていた、と言うと彼女も加わってきてどういう人は絶対駄目かみたいな話になった。
自分は「やめろって言ってるのにやめない人」、というよく分からないことを言い、経験不足を呪ったのだが、
先輩は自分勝手な人、演技が見えてしまう人が駄目だと言った。彼は演出家を務めるほど芝居をやっている人で、
芝居をやっていると他人の気持ちの動きに人一倍敏感になるのだという、大変興味深い話をされ、
俺にとっての本題である飲食店店員は、自分に足りないところを指摘してくれない、自己完結して「この子は○○だな」なんて理解されるのが嫌である、と言った。
この時俺は彼女の表情に特に注目した。なんとなれば、その話は数ヶ月前まで付き合っていたという彼氏の話だったのだが、
アルコールのせいなのか何なのか分からないが、ちょっと「ぐすっ」てなサウンドを隠そうともせず出したのであって、
よく観察すると微妙に涙目、かつ何かに一生懸命言い訳するかのように言葉多く語ったので、俺は、これは引きずっているんじゃないか、
と思ったのだった。
引きずっている=次の恋をする気になれない、ということであって、まぁ元から箸にも棒にもかからない俺だけど、
可能性がさらに低まった、ていうかアカーン、と思って、めちゃめちゃ綺麗に俺の眼に映るその姿を見ていられるだけで幸せだよな実際、と、
アクションを起こすのを止すことにして、そこら辺ですれ違った時に挨拶かますくらいで気持ちを殺したい、と思う。


思うけど、しかし自分の目を見てくる射るような彼女の視線をもう一度受けたいという気持ちが横入りしてきて、
また、自分のことをなんとも思っていないとしても、彼女は楽しそうに喋るし極めて友好的な感じなので、
その顔を見に近くにいきたい、ともまた思う。


保坂和志さんの小説冒頭に「恋愛という状況にいる人間の世界全体が活気づく」というフレーズがあって、
俺はただそれを楽しみたいだけなのかも知れない、すなわち、恋によって心の動きを活発にしあらゆるものへのレスポンスを向上させたい、という志向。
心の仕組みとして、そういうものがないとは言いきれない。
ただ言えるのは、分析するまでもなく俺は彼女に惹かれてしまっていて、熊ちゃんなんかどうでもよくなってしまってて、
ジャンバラヤ動物園で働く上で、当分の間毎日退屈しないだろうなということだ。