今一番大事なものたち

いよいよ明日、俺は大学を卒業する。謙遜なし、文字通りの三流私立大学だ。
春学期までに卒業出来るだけの単位を取得したので秋以降は一度も行っていない、という事実からも俺が大学にまったくコミットメントしていないのが伝わると思うが、
卒業式に行かないと書類などがもらえないというので行かざるを得ない。
そしてそのちょうど一週間後に入社式となる。つつついに週五スーツ生活が始まるのか。
昨日行った床屋の親父にも、うちの客にも働いてるのがいるけどディーラーってとこは大変らしいぞ、なんてなことを言われ、
言葉でしか理解できないので「そうなんでしょうねー」とか他人事みたいな返しをしたら親父が不機嫌になったので店にあったスポーツ新聞を手に取った。


21〜22歳の、いわばモラトリアムの最終段階に俺は何をしたか。
21になったばかりの頃、社会に出るまでにマニュアル車を手に入れたいという一心で身内に交渉し、マツダ・ロードスターを愛車にした。
結局それでマツダのディーラーに勤めるんだから、何だかなぁという複雑な気持ちが今でもある。
大学4年になって、最終学年だし学生らしいことがしてみたいと(そーいう自意識だけはあるわけだ)、春にゼミというものをやった。
それまで大学生とほとんど喋ったことがなかったのだが、皆さん意識の高い方ばかりで俺は完全にお客さんだった。
俺と彼らの違いを端的に言えば、成績が皆は学科内で10番以内とかそんな感じだ。俺は120番くらい←下から10番目とか。
そんで俺はそんな優等生の一人を好きになってしまい、今思えば見苦しいことをやらかした。
押しの強さは当時からでした(って誰に言ってるんだ)。


夏の合宿でゼミが終わり、やることがなくなった俺はひょんなことからジャンバラヤ動物園に入ることになった。
来年からのことを考え、接客業のバイトをやろうと思ったところ軒並み面接で落とされるというダウンな目に遭っていた俺を、
年来の親友であるところの毒舌コントロール君が誘ってくれたのだ。
ちなみにこれは、もう辞めるから書いてしまうが、ジャンバラヤ動物園=新横浜ラー●ン博物館である。
労働への恐怖を抱えていた俺だったが、慣れさせるという意味では本当に、ジャンバラヤはいい所だった。
コミュニケーションというのは相手への好奇心から生まれることを知った。
ジャンバラヤで働いた同僚は、皆俺に関心を持ってくれた。不思議に感じたほどだった。
昔から醸成されてきたらしいそういう時間が空間がそこに身を置く人たちが、俺には新鮮で心地よかった。
仕事的にはもちろん目立った事はまったく出来なかったが(非常に高いコミュニケーション能力、身体的表現力が要求される)、
それでも、あれだけ多くの人に囲まれて過ごした体験は俺に何らかの形で影響を与えていると思う。


大学にも行かないので時間だけはあった俺は、ジャンバラヤの人とよく遊んだ。
顔見知りの人、一緒にカラオケに行った人、一緒にラーメン食った人、一緒に飲んだ人、貰いタバコをしまくった人、家まで送ってあげた人。ディズニーランドも行った。
皆に愛されて過ごすことができた。若い人とも、年上の人ともふつうに接することができた。
毒コン君曰く、「君がここまで登りつめるとは思わなかった」とのこと。
俺はただ遊んでいただけだし、登りつめたかどうかは分からないが、何だか流れがそうなった。
三遊亭円楽に似た笑顔が良かったのかも知れない。


3月が見えてきた2月の終わりから、俺は意識を少し変えた。
自分の時間とお金を、俺が大事だと思う人のために、あるいは大事だと思うもののために使おうと思った。今も実践している。
早い話が人を呼んで、人から呼ばれて、会って話しているということだ。
俺の前で、大勢の人が各々の脳みそを使って好き勝手なことをしゃべっている。
俺はそれをひとつひとつ要約し飲み下し相手を理解しようとする。その考えに至る思考の経路をも知りたいと思う。
たとえばジャンバラヤ動物園の小説を書くとしたら、俺は狂言回しに最適かも知れないと思った。


話がずれたが、いよいよあと2勤務でジャンバラヤ動物園ともオサラバだ。
俺は基本的に園という場所そのものが好きなので、きっと時間を作って行くと思う。通うと思う。
俺とみんなの接点であるジャンバラヤがいつまでも続くといいと思う。


あーもう7ヶ月か。早いな。キャストの皆さん、ありがとう。