新しいものにサヨナラ

新型ロードスター

最近、文章を飾ったりするのが億劫になって、その億劫が影響してか、気取りを排した淡々としたモノしか書けなくなってしまった。
症状は文章だけにとどまらない。何だか前にも増して全体的に自己表現が淡白になっている気がする。
普段はそれで開き直って「これが俺、と俺の作るサムシングですけど?」なんて態度でいたって別にどうという事はないが、
俺にだって自分をよく見せたい、見せるべきここ一番、というものがやはりあって、そんな一番をたとえばカラオケで説明すると、
そーいうときは歌えもしない若向けの男ソプラノのノリノリでチャートインな曲を無理やり選曲しなければならない。


あるいは恋愛のアプローチで説明すると、好きな女の子と二人っきりの時には死ぬほどクサい台詞を言ったりする。
クサい=口にした瞬間から「どっかで聞いたことがあるなぁ」なんて客観的になってしまうありきたりな言葉(なので恥ずかしくなっちゃう)ということだが、
クサい=普遍的、とも言えるわけで、それこそ何十年何百年と培われてきた人類の英知の結晶なのである。


「君のことしか見てないよ。」
「君ん中の一番になれるように頑張る。」


こんな台詞を他の人が言っている場面に出くわしたら俺は、何を類型的なことを言ってやがるんだバカ、と、発した人間を心底低く見るだろうが、
しかし、自分のこととなると途端に何か許されているかのように錯覚しハードルが低くなる。
上記のカギカッコ内の言葉をまさに発してしまった我が身を顧みると、クサい台詞とは、
「自分の気持ちを言葉にして伝えたいけど気の利いたことを言いたいけど思いつかないし なのにこの瞬間に言わないと伝えないと何か駄目だ」、
という強い伝えたい欲と焦燥に突き動かされて出てくるもので、ほとんど反射的にといってもいいくらいに「口をついて」発せられる、
実は一番飾ってない言葉なんじゃないかってことに気付いた。会話というのはライブなのだ。
人間、ここ一番というときは誰でもクサいことを言ったりやったりするのだ。


そして自分の気持ちを率直に言葉にした俺は髪に触れることを許される。彼女のきれいな黒くてまっすぐの髪。実はストパー。