自分が営業職に向いていないと悟った時に取る行動

世の中には色々な業種があり、職業があるわけで。
そんな中から車の販売、ディーラーの営業マン、という道を「社会人一発目」として選んだことに、
特にこれじゃないといけない理由があったわけではない。
マツダのクルマに縁があり、とりあえずメーカーを応募したけど案の定落ちて二個目に受けた会社に入ったというだけのことだ。


自分の性格もある程度把握しているし、営業に向いていると思ったわけでもない。
ただ最初は、経験を積み上げて行けば自分にもある程度の成果を出せるし、やり甲斐とか感じられると思っていた。
しかしどうやらそうでもないらしいというのは、長く営業をやってきた人からしたら早すぎる判断なのかも知れないが、
8ヶ月も同じところにいて同じ仕事をしておれば薄々分かってくるものだろう普通。
自分のベクトルが明らかに理想のラインとは違う、負の方向に向かっていることくらいは。
ベクトルが違う、つまり色々やってはみるものの、より良い営業マンになるという軌道は描かないわけだ。
それが分かってくるから余計に陰鬱に苦悩し続けることになる。


俺には一角の営業マンになるために必要な先天的な要素がことごとく欠けているのであった。
傍から見て元気・明朗であること。リアリストであること。口が達者であること。声がでかいこと。精神的にタフなことも割り切ってできること。
むしろ俺に備わっている特性はそれとは真逆であった。
おとなしい、冷静、冷めている。空想家である。無口である。思索的である。声が小さい。些細なこともくよくよ考えてしまう。


配属されてすぐ、店長から「会社は化けもんだからよ、俺ら一人一人がどうなろうが何ともねーんだよ。大勢に影響なし」という話をされたことを覚えている。
特につながりはないが「会社は化けもん」というフレーズからホッブスの著「リヴァイアサン」を想像したことも覚えている。国家という怪物、てな。
その話をした時の店長はたぶん一社員として俺に語ったのだと思うが、
半年後、化けもんたる会社の意思を代弁する者として俺に1月退社を勧めるというのは皮肉を感じざるをえない。


俺は自分の中での区切りとして、三月までは仕事を続けようと思っていた。
どんなに見込みがなくてもやはり最低1年はやらなければという考えが確かにあった。
別に数字に根拠はないし、ハッキリ言って気分である。1年だろうが9ヶ月であろうが大差ない。
ただそれ以前で辞めたら、何というか駄目になってしまう気がしたのだ。漠然と。
しかし会社の方から「一月で。」と言ってくるという状況は正直予想していなかった。
俺の考えも甘かったのだろうが、一人を一月、俺を四月で退職させるより一度に人員を整理して、
新しい人材を投入、一月〜三月の繁忙期に対処する方が会社として有益であるという冷徹な論理を持ち出してこようとは。


自分の希望である「三月一杯」を聞いたあとに店長は、そんなことまるで聞いていなかったかのように一月退職論を再度俺にぶっつけた。
話の最中は驚きもあり、内容を把握するだけで何も考えられなかったが、独りになって思い返してみると、自分の中で思考が発酵し考えが変わった。
どう変わったかというと、別に一月でもいいやって思うようになり、
特に会社に対して貢献したいとか、役に立ちたいとかいった考えがきれいに消え失せた。
「役に立ちたい」というよりは「雇われている以上役に立っといた方がいいのではないか」くらいの考えだったのだが。消失。


そういえば上司も店長と同じようなことを言っていたなと思う。
「会社はいざとなっても俺のこと救ってくれないからな。」
あーこの言葉が俺の考えを決定付けるわけだ。


自分のことを何とも思っていない相手に対して何かしてやろうと思うほど俺は人が良くない。
たとえ給料を貰っているとしてもだ。それ以前に俺は毎日膨大な時間を提供しているではないか。時給900円クラスだぞ。


まだ人事は確定していないからもしかしたら三月までやってくれって言われるかも知れん。
でももし言われても俺は一月で辞めるつもりをもうしている。ふざけんなと言ってやろうか。
自分が駄目になるかもとかそんな後ろ向きな思考はもうない。