爆笑問題の凋落ぶり

ash20042006-06-24

この生活になってから夜遊びも当然していないし、勉強ばっかりだったわけだが、最近は適度に休憩を入れ、テレビを見たり、週刊誌を読むなどしている。折りしもワールドカップたけなわ、面白い記事がたくさんあって時間を忘れてしまうこともある。あと、試験の前一週間くらいは新書を読むようにすると論文試験でつっかえずに書けることを発見した。
で、テレビをつけるようになって「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」(日本テレビ系金曜20時)を度々見ているのだが、これを見てて思うのは爆笑問題の残念な進化ぶりだ。
この番組は爆笑問題のボケ役、太田光氏が「太田総理」として擬似国会を主宰し、自分の考えた政策をマニフェストとして発表し、タレントや現職の議員らが討論するという内容である。最終的に賛成・反対の決を採り、過半数の賛成を得た政策は国会に陳情することとしている。
これまでに提出された政策は、たとえば「アメリカと1年間国交を断絶する」とか「総理大臣を直接選挙にする」といった、非現実的なものが多い。まぁそれはテレビだから仕方ない(刺激的な文句をテレビ欄に載せたいのだろう)と思うし、政策どうこうよりも討論の過熱ぶりを映すのがメインのような演出だから、結局はプロレスなんだろう。
こういう番組は前からある。「真剣十代しゃべり場」がその嚆矢で、「ジェネジャン」がそれに続いた。見ていて不愉快な気持ちになるが、時たま物凄い宝石のようなバカ(or天才)に出会えるという意味で、貴重な存在ではあった。また、そのバカに釣られて飛び出すゲストの芸能人(大人)の香ばしい言説にも触れることができた。
二つの番組の共通点は、主に中高生くらいの自己顕示欲の強い素人(と年上だが精神年齢が同程度の人)がパネラーとして出てくることである。彼らの退路を考えないマシンガン的な物言いが、見ているこちらの心理を刺激し、気持ちが高まる。他人の喧嘩を見てストレスを発散するような作用が働くのかも知れない。確かに他の番組には無いスリルとサスペンスがあったように思う。
さて、「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」にはそのようなスリルがあまりない。色々が予定調和的であるということだ。太田総理は毎週反米を叫ぶし政権批判をする。議員や体制派のタレントがいちいち反論する。太田総理側からも横槍が入る。常に3人くらいが喋っていて何を言ってるのか分からなくなる。司会の女子アナは仕切らない。採決終了。議論のオチもなく、提出された論点を整理することもない。過熱する討論を見せるのが目的と考える理由はここにある。
今日の放送ではラサール石井が途中何か憑かれたようにブチ切れていた。おそらく収録が押しまくっていたのだろう。テレビ的にどうかな?ってくらいの形相だったけど、司会の女子アナは冷静にいなした。何も見てないんだろう。
決定的なのは、笑えないことだ。議場はただ怒鳴りあってるだけだし、頼みの田中裕二も秘書室に隔離されている。同じ政治を語る番組でも「たけしのTVタックル」は面白いと思える。あれくらい肩の力が抜けている方がジョークも出るだろうに。内容的にも比較にならないくらい優れている。採決をとる関係で無駄に人数が多いのも致命的である。


番組が面白くないという話はまぁいいとして(見なければいいんだから)、俺をもっとも残念がらせるのは爆笑問題の、というか太田光氏の立ち位置の変わり様だ。彼は常々「我々の漫才が社会派と呼ばれるのは心外だ」と言ってきた。「私はお笑い芸人で、政治・社会ネタをただ面白いからネタにする」のだと。ネタにすることに何ほどの意味もないのであると。
昔から爆笑問題のネタは好きだったし、本も持ってるしビデオも見てるしテレビも一時期までチェックしていた俺にさえちょっと「気取り」「クサさ」を感じさせる太田氏のこの姿勢が、爆笑問題の良い所だと思っていた。今思うとちょっとナイーブだったかも知れない、自己演出なんて誰でもするものであるが、少なくともある時期までの氏にはそれを納得させる力があった。
しかしこの番組で氏がやっていることは、まさに政治を政治として語ること以外の何者でもない。もしあの醜態を芸人としてやっているのだと言われても、俺は信じない。ピエロになりきれてないのだ。
太田総理の番組で露になっているのは、いまどき珍しいほどの彼の思想の偏向(要するに左翼がかっている)ぶりだけではない。政治に対する知識のなさだけでもない(彼はすごい読書家だから、知識の総量では絶対にかなわないだろう)。
彼が左翼思想や革命にシンパシーを感じていることは、彼の書いた本を読めば何となく分かることである(たとえば「日本史原論」の帯とか)。高校生だった俺にもわかったくらいだ。
それだけではなくて、最もガッカリさせられるのは彼の「人間」「個」というものに対する絶対的な信頼である。信仰心といってもいい。
「政治家ごときがどうこうできる問題じゃない」「表現が人を動かすと思うんだよね」というような発言(いちいち覚えてないが)や、「お前は人間というものに対する理解が足りないんだ」的な発言をするたびに、俺は失望している。そればっかりだから。人の実存の多様性とか唯一性とかを言い立てるときの彼は、その多様性とか唯一性が何か手放しで素晴らしいものであるかのような顔をしている。
まったくそんなことはなく、むしろそれこそが思考停止だと俺が思うのは、かつてこの国が戦争に突っ走ったときのことや、あるいは現在、その素晴らしいはずの個性を称揚した結果、ワンタッチでゴールに入るボールさえ枠の外に飛ばすジーコジャパンが惨敗したことを振り返ってのことである(もちろん俺は生の戦争を知らない)。
太田光氏は頭が良いから、この俺のようにみんなもなるべき、なれるはず、と考えて色々発言するんだろうが、残念ながら昔っから人間は大して変わってない。としか思えない。
「水は低きに流れ、人の心もまた、低きに流れる。」(攻殻機動隊S.A.C.2nd GIG#23)むしろこの言葉の方が現実を掴まえていると感じられるし、俺を引き付ける。アニメではあるが(笑)