女の子の肩が思いのほか細いことについて

ash20042004-08-14

女っていうのは大概男よりも体格が劣る、
劣るっていうとマイナス要素みたいに聞こえるからミニーって言い直しますけど、
女っていうのは大抵男よりも体がミニーに出来上がっている。
だからミッキーたる男と並ぶとアシンメトリックな感じで、ニョキニョキっと二本同じ高さで居るよりは見た目カジュアルな気がして精神的に落ち着く。
カップルの理想身長差は15センチ」という俗説の根拠は何なのか、俺は正確なのを知らない。知らないけど間違いなく傍から見た目。


青い春が大好きな俺は舞城王太郎の青春エンタ「世界は密室でできている。」もとても面白く読んだ。
その中の一節に、ワードは忘れてしまったが「女の子の肩がこんなに細いなんて、実際に抱いてみなければ分からない」ということを
ちょっと気の利いた表現で書いてある部分があって、オッと思った。


追記:手元に本を持ってきたので正確に書いておくと、
「女の子の肩は、見た目よりずっと小さい。
お風呂で熱いと思うお湯の温度が、口に入れてみると全然ぬるいのと同じだ。
何かを適切に計る器官は、対象によってそれぞれ決まっているのだ。
女の子の肩の大きさは、抱いてみなけりゃ判らない。」
だった。


青春小説というのは、読む人の甘酸っぱい、あるいは思い出すのも苦しい記憶を引きずり出して、いてもたってもいられなくさせる要素が含まれている。
そういうもの全て俺は青春小説と言って良いんじゃないかと思う。
あるいはもっと複雑に、深読みに次ぐ深読みで、読み手個人の記憶を本人にほじくり出させる要素も多分に含まれている。
そして青春期のサムシングというのは「初めて」だったりするので当時の些細なやりとりや感触や大気の匂いまで覚えてしまっていることが結構あるために、
作品が自分の内側と呼応するように感じられやすく、ベストセラーになりやすい。
だからメタな設定の青春モノが売れるのだ。自分の体験に応用がきくから。
世界の中心で、愛をさけぶ」も俺読んでないのに言うのアレだけど、この系統ど真ん中ってやつでしょう。


と話を一般化させてしまったが、俺も女の子の肩の細さ、小ささに度肝を抜かれた経験を持つ一人の男子だ。男子の一人だ。
ハッキリ言って、別に細くない、中肉中背の女でも、たぶんちょっとぽっちゃり目の娘でも、予想してるより小さい。
ヒョッ、と手を回してみるとあれあれ指先が自分の方を向いてもう抱く姿勢に突入だよ、とまず思う。
そして自分の手の中の、指でホールドした彼女の肩の厚みのなさに感動する。
骨を感じることもあって、そうすると骨格そのものが小さく出来ているんだすげぇよミニーちゃんと余計なことまで考えてしまう。


俺が初めて肩を抱いたその身長163センチ体重たぶん46キロくらいの女はガリガリだったため、さらに余計に衝撃を受ける事となった。
台場はパレットタウンにある観覧車、料金はなんと一人900円もするのだが、
それ払って乗ったもののゴンドラ内で俺がテンパって「こうするもんだろう」と肩を抱いてみた所、
その手ごたえからあまりの細さに折れてしまう、ご飯をもっと食べた方がいいよと
変なアドヴァイスを垂れながら動揺、処女でない彼女に無感動にするりと抜けられてしまう。
俺はその観覧車の中でもう一度彼女を抱きたいと思ったけど手に残った感触だけでお腹いっぱいになってしまって黙って地蔵のように地上に降りてきた。
地蔵が巨大な弧を描いたわけだ。
今でも、脳内補完によってかなり脚色されてはいるものの、その時の衝撃は鮮度を保って俺の記憶のいい位置にある。
色々な男女関係があっていいと思うけど、俺がセックスまでするような仲になりたいと思う女は大抵スタイリングが女の子女の子している。
それは、性欲の対象になるのは自分と体のつくりが明らかに違う異物であって、凸と凹の関係、ってまた下ネタかよ、を求めているということだ。
この体でいくと世の大半の女の人は俺のストライク・ゾーンに入るような気がするわけだが、それは正解である。
俺はどんな女も見る角度によっては可愛く見えるだろうし、仕草も考慮すればかなりの数の女性をお近づきになれれば恋する自信がある。自信家。


今、この叙述をしていて既に青春の魔物に心をボコボコにされつつあるのを自覚している。これなのだ。
どんなに冷静に書こうと思っても、自分の体験に勝るものはなく、どうしても感傷的な空気を文章にまとわせてしまう。
感傷的な気分に任せて書くのは自分だけが酔ってしまってカッコ悪いし、内容も結局伝わらない事が多い。が今回はコレでギブ・アップだ。