読書

好き好き大好き超愛してる。」を適当なページから読み始めて10ページくらいで適当に読み終えるということをしている。
舞城王太郎の作品でもっとも面白いというわけでもないし、分析するほどのこともないのかもしれないが、字がでかくて読み返しやすいのでやってみている。
「柿緒」の主人公が書いているのか?間に挟まれる色々な設定の失恋・喪失パートは。
柿緒の主人公が発表した「光」という短編の内容と、「智依子」パートは似ている。
「それが人を死に至らしめるものであっても光は美しい」という意味を含んでいるということで。
山田詠美芥川賞の選評で書いた「メタモルフォセス」=変身という言葉は、こういうことを読み取ったものなのだろうか?


「私の場合、一人称の小説が多いのは、小説とは細部の積み重ねによって完成するという考えが基盤になっているからだ。
つまり、小説の中の『私(ないし僕)』が見たものや感じたものがひとつずつ積み重なって、何か大きな流れになっていく
ーーーーー私にはそんな構造的なイメージがあるため、ほとんどの小説が一人称になった」
これは保坂和志さんの文章だが、読む限り彼も細部派であった。俺も細部派を支持したい。