「好き好き大好き超愛してる。」チェック

ash20042004-08-16

「智依子」
トイレの中の逆さまの花園、光るASMA

「柿緒1」
短編『光』=「それが人を死に至らしめるものであっても明かりは美しい」
「美というものは倫理とは別のところにある」

「佐々木妙子」
「死ぬと変わるんだよ」

「柿緒2」
「生きる時間の長さが約束を自然と反古にする」

「ニオモ」
「たぶん今君が見てんのは君の望んでるニオモちゃんであって、それは偽者のニオモちゃんだ。君がそうしてあげたいのは本当の気持ちだけど、
本物のニオモちゃんがそうしてくれと頼んでるわけじゃないからね」
「新世界」
「素質だけではやはり駄目なのだ」

「柿緒3」
『柿ノ樹狂華のさよなら新世界』
「《キャラ》に与えられた定めとは何なのか、《定め》を乗り越えるためにすべきこととは何なのか、《乗り越えた》ところに何があるのかを書いたつもり」
「私も治のことが好きだった」→「柿緒はもう死んでいる」
「僕が書くのは起こりえたはずなのに起こらなかったことかそもそも起こりえなかったからやはり起こらなかったことだけだ。そういうことを書きながら、
実際に起こったことや自分の言いたいことをどこかで部分的にでも表現できたらと思っている・・・というより願ってる」
「ただ僕は生きていて、柿緒は寝ている時間とか治療を受けている時間とか結構長くて、
僕は空いている時間を埋めなくてはならなかったからだ」


ハッキリ言ってこういう風に俯瞰して考えることに意味があるとは自分でも思わないのだけど、
何となく気になったところだけバカを晒すのを承知で書いておく。
上のは作品の進行・章立てと、気になる一節を抜き出したものだ。


「智依子」と「柿緒」パートは明らかに近い。柿緒の主人公が短編『光』で自分が書きたかったことを読むと明らかにそうっぽい。
「佐々木妙子」はどう読んだらいいのかよく分からなかった。
もちろんツトムボーイ面白いんで無問題です。現実と夢は別物ではなくて、あらゆるものを含んだものが「世界」だ、というのが意味ありげ。
「ニオモ」も設定が面白い。ろっ骨融合て。
ここの「素質だけでは駄目だ」、というのが『柿ノ樹狂華のさよなら新世界』におけるキャラに与えられた《定め》に関連している部分だろうか。
新世界というワードも被っている。


「柿緒」パートは全編まっとうな話が書かれていて、飛躍も少ないし、
主人公が病床の恋人の脇で小説を書き続けた理由を「空いてる時間を埋めるため、あと生活のため」とするあたりはリアルすぎる。
「生きる時間の長さが約束を自然と反古にする」というのも現実的だ。
そういう現実的な、ドラマしてない感覚の持ち主たる主人公・治が感じたことや言いたいことやその身に起こったことを小説に込めるとしたら、
ASMAが出てきたりフック船長みたいなのが出てきたりする、各パートのような形を取っていくのだろう。
この体でいくと柿緒パートは舞城王太郎舞城王太郎自身のことを書いている、とも言えなくもないのかも知れない。


と、俺は読みました。いやー浅いんだろな。舞城王太郎関連の閲覧者の人ごめん。
こんな、まともな言語野もない俺がどうして小説大好きなのかというと、
まず俺に空いてる時間が多いというのがあるけれども、
それ以外に、言葉を使ってする様々な営為が好き、話すこと、書くこと、それにお笑いとか、ラジオとか、テレビも一応入るけど、
言葉を駆使して人を面白がらせることが好きで、俺自身も面白がりたい、そういうものをたくさん身体に取り込みたいということがある。
だから、今まで触れたことない想像力だなということで舞城王太郎の諸作をガガガっと読んでみてるわけです。他の小説も読んでいきたいわけです。
世界の中心で、愛をさけぶ」だってブックオフで安かったら読んでみたいわけです。