バイバイ、スープラ

俺の家の前は昔何も加工してない原っぱで、誰の土地だか知らないけど柵もないからよく勝手に入って友達とか母親とかと遊んだ。
バッタを捕まえたり草の茎の強度で勝負する草相撲をしたり
ヘビイチゴが群生してて蛇って付いてるけどイチゴなんだよなぁ食っていいのかなぁって逡巡したりして乳幼児期を過ごした。
他にも俺と母親の親子2代でその原っぱで捨て猫を拾っているし、俺にとってはその頃の家の前は生命と戯れる場所だったのだ。
その生命に溢れていた場所は今では自動車という無機物が50台ほど黙って並んでいる場所になっている。


ここの駐車場は世間の傾向を逸脱していて、マニュアルトランスミッション車の比率が妙に高い。
統計上はオートマが90%の後半、96〜98%のどれかを占めているはずだがここでは50台近くある車のうち10台くらいはマニュアル車だ。
アルテッツァが2台、現行セリカもいる。マツダ・ロードスターはNB型が2台。
S15シルビアにR32スカイラインもいるし、先代レガシィも覗き込んだらHパターンを持っていた。
先代のインプレッサはマフラーが換えてあるせいかアイドリングから既にうるさい。
さらにトヨタの何とかいうコンパクトカーまでマニュアルだった。オジサン所有の生活密着型マニュアルだ。マニュアルは10万がとこ安いのだ。


そして駐車場の入り口から程近い場所に置いてあるのがトヨタスープラだった。
ブラックの車体は鈍い黒光り状態で、外装に変化はなく、長く乗られていないのがブレーキローターの錆から一目瞭然だったけどとにかく存在感が凄くて、
それは俺がこのクルマをスープラだと知っていたからなのかも知れないけれど。
ボディ側面が絞ってあってリアブレーキ冷却用のダクトの穴があるあたりマジスポーツカーだな、と感心したり、
お尻のデザインがカッコいい、というか艶めかしくさえあって、「SUPRA」ってイケてるフォントで描いてあるのも合わせて何だかよく分からないけど悪い魔法使いを想像した。
俺の部屋からヤツを見下ろすと、パッと見サンダーバード2号って感じでツルッと卵型なのに、同じ目線に立つと全然印象が違う。
俺はスポーツカーをフルエアロを組んで乗り回す人よりも見た目はノーマルで走る時は凄いぜーって人になりたいと思っていて、
そのスープラは見た目がどノーマルでどういう人が乗っているか知らないけど俺の理想、
理想っていうかどこもいじらなきゃいいんだからそんな言うほどのこともないのだが、要するにいつも気にしていた。
しかしいつまで経っても持ち主は現れず、スープラ発進シーンも見られなくて俺はがっかりした。


気にかけ始めて1年半、夏休みを迎えていた俺の所についに持ち主らしき人が姿を見せた。
その人はおもむろにエンジンルームを開けて・・・乗って来た車とスープラを面突き合わせてバッテリーを充電し始めた。
やっぱりこの間、ほとんど乗られていなかったらしい。
充電が終わるとおもむろにデジカメっぽいものを取り出して撮影を開始。
あ、と何かを感じる。
「これはお別れだ、スープラヤフーオークションに出品されるんだ。」
直後、最後のドライブに出発したスープラとそのドライバー、マフラー音はジェントルで良かった。


しかしスープラ、俺の心の恋人のようなものだったのに・・・
ドナドナドーナードーナー 仔牛をのーせーてー、とつぶやいて。JASRACに怒られそうだが。


(画像はフェラーリ・F2004)