夏の終わりのミッションブロー

山の中を歩いているというのに樹や草や土の匂いがまったく漂ってこない。今の季節は夏。
以前に、川原の雑草を、細長いアルミか何かで出来たロッドの先に丸い回転のこぎり様の刃が付いた刈り機でぶわぁぁぁっと粉々にしていく現場を通りかかって
ちょっと青臭すぎるのじゃないの、と思うくらいの青いみどりぃ感じを覚えたことがあったのだが、
俺が今深く入り込んでいる山、名を虎馬山というが、ここにはその川原の数十万倍は青や緑色をした物質があるというのに
鼻孔を刺すのはむしろ女物の化粧品のような匂いであって、
やややこれは一体、と思って今まで登ってきた獣道、並びに周囲の森を振り返ったところ、
虎馬山の森は土はこんな風になっていたのか、って衝撃。
草という草、樹という樹の表皮をびっしりと、人間の唇のような、二枚のひだひだが合わさって出来た極めて気色悪い、サムシング、が覆っていて、
風に揺れるたびにそのサムシングが擦れ合い、間からファウンデーションのような白っぽい肌色っぽい粉末がぱらぱらと落ちてきてて、思わず息を飲むしかない。
さらによく観ると、肉食動物の糞色をしている土が微妙にうねっていて、落下したファウンデーションを土中に取り込もうとするかのようだ。


おそらくファウンデーションは種なのであろうが、あんなに土の方から迎えに行くなんて、どういうことなんだ。
ありえなーいありえなーい、と俺は言って、あと少しで頂上だけど下山することにした。
こんな気持ちの悪い山、山っていうか生き物じゃん、土と草樹が不適切な関係を、と思って。
ところが、下山しようと踵を返した瞬間、今自分が乗っている地面がうねうねと動き始め、ああ立っていられない、尻餅をついたところ、
土が盛り上がって自分の顔より遥かに高いウェイブを、あるいは翼のようでもあって、どこから出しているのか、ぶええええっ、ぶええええっという爆音、
とともにすんごい勢いで迫り来てほんで飲まれてしまった。
土中で撹拌されながら俺が聞いたのは硝子を引っかく音のような女の悲鳴のような、喜悦の声のような、精神を破壊するような音で、
それはおそらく草樹の無数のひだひだが擦れ合わさって出ている音なのだった。