スイートなひとときを貪りたい

ash20042004-11-10


魂というか自意識は身体とともにあるんであって、身体と切り離して考えることも出来なければ、
自意識それだけを取り出して話をすることもあまり意味がない。
俗なたとえを出せば、ハンサムを自覚しているハンサムと、ブサイクであることを自覚しているブサイクでは、
自意識の有り様に間違いなく差異が生まれ、それは個人差で納得できる範囲のものではない。
ムキムキとガリガリ、腕一本と二本、では日常的な認知に違いがあるわけだし、それが人格に影響を与えないわけがない。


たとえば「攻殻機動隊」みたいに全身サイボーグで生身なのは脳みそだけ、って時代がきた時(そんなの来ないよなーたぶん)、
アニメの中でも語られてるけども個とか自意識ってのはどうなってしまうのかと想像して、俺はちょっと変な気分になる。
そこでは、俺ら一人一人の個人のレベルでは確かに自意識は存在していることになっているだろう。
一人一人が自分で考え行動し人生を全うしていっているように見えるのだろう。
でもそれを少しひいた画で観察すると、実は皆が「かぶっている」状態であったりするのかもしれない。
思考様式や価値観が、肉体のつくりや限界の横並び化によって「かぶる」。


今の時代はまだそこまで、肉体の組成を変えることで自意識に異変をきたすところまでは至っていない。
けれども、この「サイボーグ」を現代的な問題に直すことが出来る。「情報」がそれに当たるだろう。
また「攻殻機動隊」の話になるが、あの話では情報はすでに在るものとされている。
公安9課の人は変なスコープを付けて膨大なネットの海へダイブし随意にあらゆる類の情報を取り出している。
情報が自意識に影響を与え、無意識だけど「かぶる」状態をつくりだしているのが現代だ。
俺は既に老けてしまったので見えてないかもしれない、実情は違うのかも知らんが、
とりあえず街を歩く婦女子の類型的な格好は、あれは間違いなく情報のせいだろう。
男たちはAVでセックスを学び、やれフェラチオだの顔射だの、お腹に出してやっただのと類型的である。
なんでお前らはそんなに映画が好きなんだ。泣きたい?
泣くために映画を見るって、芸術鑑賞においても消費者の態度を崩さぬのだなベイブ。
皆、消費してしまうつもりなのだな。そして取り込んでかぶっていくんだ。俺もその渦中にいるのは言うまでもない。


いつの間にか愚痴になってしまっているようなので戻すが、
情報が外部から自意識を変化させるのが一段階め、肉体を替えることで内から変化させるのが二段階めだ。
もちろん大きくいえば「環境の変化」で、段階も何もないんだけど。
そしていずれも個・自意識の類を曖昧にしていくように出来ている。本人に自覚はないが客観的にみる時の話だ。
実は人間とは自意識を捨ててでも他人と融けあってしまいたいのだろうか。


(画像はアウディ A3 スポーツバック)